サン・セバスティアンが観光都市として生まれ変わったきっかけはマリア・クリスティーナ王妃。ドクターに勧められた海水浴を楽しむため、王妃は1893年より当地を避暑地とし、サマーシーズンには全家族・宮廷人を引き連れて当市を訪れるようになりました。
そのおかげで、サン・セバスティアンはスペイン宮廷、特級階級層、貴族階級の人たちのお気に入りの避暑地の街となったのです。
宮廷の人たちを楽しませようと、サン・セバスティアンは一見してフレンチスタイルだと分かる一連の荘厳な建物と数々の観光スポットで埋め尽くされました。
現在のドノスティア=サン・セバスティアンの市庁舎は、1897年7月1日の開館からギャンブル禁止令による1924年の閉館まで、ドノスティア=サン・セバスティアンのグラン・カジノの本拠地でした。現在本会議場として使われているかつてのダンスサロンやルーレットはベル・エポック時代の政治家、作家、芸術家で大いに賑わっていました。
1912年創業のマリア・クリスティーナホテルは街の中心部に位置します。サン・セバスティアンのシンボルとなった当ホテルは、街の文化・歴史と緊密にかかわっています。
サン・セバスティアンを象徴するもう一つの建物。1912年に杮落としされた劇場は歴史がぎっしり詰まっています。ここはかつて貴族階級のクラブ、一般ダンスサロン、バリケード、戦間期の芸術家の溜り場、バスク文化センター、フランコ体制がよく訪れたボックス席、国際フェスティバルの本部、役者たちの原点、ビッグスターの楽屋、権利要求の舞台、マルチスペースとして利用されていました。
ベル・エポックスタイルの特級階級層向けラ・ペルラ・デル・オセアノもまた1912年に創業。そもそも19世紀中盤以降よく見られていたのは車輪付きの移動式ビーチキャビンでした。1868年、赤く塗られた大型の木造建築を建て、コンチャで営業開始。しかし、その40年後には廃れてしまいます。リニューアルしたスパ、ラ・ペルラはトルコバス、サウナ、新式のトリートメントの他、当時としては斬新的なサービスを提供するようになりました。
1912年に開設したイゲルドのレジャー施設とカジノは、当時夏に街を埋め尽くした特級階級層にとって、さらなる魅力となりました。同年開設したケーブルカーは、訪れる人たちを山の頂上まで運ぶ他、遊園地建築素材を運ぶためにも利用されました。そしてその数年後、遊園地初のアトラクションが営業開始。